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かわいい赤ちゃん

「こんにちは、ニコニコ生命です」……

 少し旧式のインターフォンから声がした。

「はい、お待ちしてました。今ドアーを開きます」……


 私は返事をした。インターフォンのすぐ横にある白くて四角いスイッチをカタリと押すと、心地よい音がしてドアーが開く。期待感で胸がいっぱいだった。


「こんにちは! わたくし、ニコニコ生命のや・ま・だ、と申します」

 彼が差し出してきた名刺を、私は両手で受け取った。名刺には名乗ったとおりの彼の名前と、ニコニコ生命営業部、という所属、連絡先、住所、そして、会社のキャッチコピーが印刷されている。曰く、『貴方の家に幸せを』……。

「今日はどうぞ、よろしくお願いします! 主人は今会社に行っていますの。私がとりあえず話を聞いて、それから相談することになっていますから」
「左様でございますか。それでしたら、今日は簡単な説明を……」
「ここじゃあなんですから、応接間へどうぞ」

 私はニコニコ生命の山田さんを、ピカピカに掃除しておいた応接間にお通ししたくってしようがなかった。
 山田さんはニコニコしながら、「どうも、ありがとうございます」と言って、促されるとおりにしてくれた。


 私は、丁寧に淹れた水出しの緑茶と近所のお菓子屋さんで買ったお茶菓子とを、山田さんの前に差し出した。――どうぞ、よろしければ召し上がってください。これはこれは、お気遣い無く。


「さて、では、ご説明させていただきます」
 今度は私の目の前に、ニコニコ笑顔の可愛い赤ちゃんが表紙に大きく描かれた、パンフレットが二冊置かれた。


「わたくし共、『株式会社ニコニコ生命』では、お子さんを作りたいというお客様方への、理想のお子様作りのお手伝いをさせていただいております」……

 私は当然そんなことは知っていたが、山田さんが話しやすいように、はい、と相づちを打つ。

「こちらのパンフレットにもご紹介させていただいておりますが、」山田さんの手がパンフレットをめくる。そのページには沢山の赤ちゃんの写真が印刷されており、その赤ちゃんたちがどういう風に成長していくかが、時間軸に沿って書いてあった。

「わたくし共はこのように、ご希望とあれば、外見はもとより、内面的な部分も、かなりの部分お客様のご要望に沿った形で、お子様をデザインすることが出来ます。幸いなことに、このとおり多くのお客様方に満足していただいております」
 山田さんの手がもう一ページめくる。『理想の子どもを作ることができました』『無事、希望校へ進学! 本当に感謝しています』『すくすくと成長し、元気いっぱい!』……幸せそうな親子の写真と共に、大きな字体の見出しが躍る。

「まあ――」
 私はついつい声を出す。素敵だ。こんな家庭に憧れる。
「失礼ですが、秋元様には、現在お子様がいらっしゃいますか?」唐突に山田さんが聞く。
「いいえ、これが第一子です」

 そう私が言うと、山田さんは更に笑顔になって、「左様でございましたか! でしたら……」ページを手繰る。
「こちらの通り、今の期間は割引キャンペーンを行っておりまして。最初のお子様を当社で作っていただきますと、こちらの価格で……」
 それから先の山田さんの説明は、少々長いので割愛する。

 


 最後に詳しい料金の話をしてもらうと、一通りの説明が終わる。山田さんはこちらの顔を窺いながら、下手に出る口調でこう言った。
「いかがでしょうか? 出来ましたら、是非当社の方で秋元様の記念すべき第一子のお子様をお作り致したいのですが……。ご予算の都合でご無理なようでございましたら、出来る限り勉強させていただきますので……」


 うーん、うーん。私は激しく揺れていた。

 ニコニコ生命は、赤ちゃんを作る生命会社では押しも押されもせぬ最大手だ。出来れば、私たちにも一流企業出の子が欲しい……。
 一流企業の出身となれば、将来は約束されたようなものだ。病気もしないし、頭の回転も早い。おおらかで遊び心のある、すばらしい人間に育つだろう。
 でも、想定していた予算の三倍以上という値段では、諦めるしか仕様が無い……。でも…………。


 私が必死にどうすべきかを考えていると、山田さんが最後の一押しとばかりに口を開いた。

「奥様、当社の品質にはご満足いただけたようですが、どうやらお値段のことでお悩みのようですね。無理もありません……。都内の一等地に新築が建つほどのお値段ですから。しかし、昨今では、優秀とされる遺伝形質の遺伝子コードにはさまざまな会社の特許が入り乱れて所得されておりまして、どうしても、このようなお値段になってしまうのです」

 山田さんは申し訳なさそうに、首を横に振った。
「しかし、そんなお客様のために、特別なプランがございます。こちらのページに……」

 

 山田さんはそう言って、最後のページをめくった…………。私はその五分後に、わが子の購入を決めた。

 

 

 

 

 人生を賭けた大きな大きな話を終えて、私は胸がまだドキドキしていた。そこに、主人が仕事から帰ってきた。
「お帰りなさい、あなた」
 私は、声をうきうきさせながら、愛する主人を迎えた。
「ただいま」
「お食事できてるわよ」
「ああ」
 主人がネクタイを解く。私は後ろに回って、ジャケットを脱がせてあげた。

「今日ね、ニコニコ生命の方が見えたのよ」
 ジャケットの左袖から主人の左手を抜きながら言った。
「そうか! でかしたぞ、それで、どうだって?」
 主人は笑顔で振り向きながら、子供の様に目をキラキラさせていた。
「とても素敵な子どもだったけど……お値段がね、予算の三倍以上だったの。でも、営業の人がとっても感じのいい人で、今だけだって言うプランを教えてくれたわ。それだとなんとか、やりくりすれば手が届きそうなの」
「そうかそうか! よかったな、……子どもはお金じゃないよ。教育費や生産費にいくらかかろうと、大事なわが子には代えられない。ちょっとその話待っててくれ、先に風呂入ってくる」


 やっぱり、主人はとってもいい人だ。隣の岸間さんの家などは、だんながギャンブルに入れ込み、三流企業の子どもしか作れなかった。
 奥様から話を聞くと、生後三ヶ月でも夜泣きはすごいし、まだ二本の脚で立てないという。三流企業では昔ながらの方法で子どもを作っているのだから、当然のことだ。

 そんな話を聞いていたものだから、私は、ほっと安心した。――主人ならきっと、これからする話のことも、分かってくれると思ったからだ。

 

 私は精一杯こしらえた机いっぱいのごちそうを並べて、主人がお風呂から上がるのを待った。脱衣所に上がる音がしたところでキンキンに冷えたモルトビールを冷蔵庫から取り出して、テーブルに着くと同時に二人分注いだ。

「おっ、ずいぶん豪勢だな」
「ええ」
 主人が一気にジョッキを空にすると、私は二杯目を注ぎながら言った。
「あなた。さっきの話の続きだけどね……」
「おお、すまんな。なんだって?」

 

「下取りって話なのよ」

 


「ほう。下取りって、あれだよな。新しいテレビを買うときに、今まで使っていたテレビを……」
「そうそう。子どもを買うときに、私とあなたを下取りに出すの」
「……なんだって? どういうことだい」

「私達の子どもはね、特別A級の子が貰えることになったの。でもそうすると、この家と財産を処分して、あなたの生涯年収と年金を全部使っても足りないわ。でもね、今は政府のキャンペーンがあって、下取りしてもらうと補助金が出るらしいのよ。それを使えば、何とかなるようなの」

 主人は流石に驚いていた。鼻の下辺りをさすりながら、目線を若干右上に向けた。考え込むときの、主人の癖だ。
「……そうか。子育ての猶予期間はあるのか?」
「ええ。……小学校入学まで、あなたの下取りは待って貰えるって。私は、高校受験を終えるまでよ。最低そこまでは親がいないと、子どもの性格因子に悪影響が出るって統計が出たんですって」
「そうか。良心的な会社でよかった。もちろんOKしたんだろうな?」

「ええ、今日中にお返事しないといけない、人気プランだからすぐに埋まってしまうって。でも、お願いしてあなたがお帰りになるまで待ってもらってるのよ。……お返事していいの?」

「もちろんだ。もうこんな時間じゃないか。お待たせしてはいけない、すぐに電話しなさい。連絡先は分かっているんだろうな?」

「ええ。名刺を貰ったわ。二十四時間受け付けているのですって。じゃあ、電話するわね……ありがとう、あなた」

 

 


 こうして、すぐに話はまとまった。

 

 私と主人はその次の土曜日にニコニコ生命の本社に赴き、赤ちゃんの形質、容貌、免疫などの情報を一日中かかって決め、私達の下取りを了承するという書類に、署名、捺印した。

 


 ――それからたったの四日後に、私達の家に生まれたばかりのかわいい赤ちゃんがやってきた。赤ちゃんを抱いた主人は、こんなかわいい赤ちゃんとあと六年間しか一緒に居られないと、子供の様に泣いていた。

 私もそれを見て、これからの十五年という月日の一日一日を一生懸命に生きようと、心に誓った。

 

 私達の赤ちゃん。私達が居なくなっても、きっとあなたは立派に生きていけるよね? 私達の赤ちゃん。かわいい赤ちゃん。

​おわり

作:愛餓え男

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